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井上和彦 (声優) : ミニ英和和英辞書
井上和彦 (声優)[いのうえ かずひこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [い]
 【名詞】 1. well 
: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 
: [こえ]
 【名詞】 1. voice 
声優 : [せいゆう]
 (n) voice actor or actress (radio, animation, etc.)
: [ゆう]
  1. (adj-na,n) actor 2. superiority 3. gentleness

井上和彦 (声優) : ウィキペディア日本語版
井上和彦 (声優)[いのうえ かずひこ]

井上 和彦(いのうえ かずひこ、1954年〔『タレントデータバンク2010』、782項、株式会社タレントデータバンク、2010年、ISBN 978-4990457112〕3月26日 - )は、日本声優俳優ナレーター音響監督B-Box所属。神奈川県横浜市出身。身長173cm。血液型O型横浜市立横浜商業高等学校卒業。
== 概要 ==

=== 来歴 ===
神奈川県大和市喫茶店を営む(現在は閉店)両親の下で、三姉弟の末っ子として生まれる(上に8歳年上の姉と、5歳年上の兄がいる)。また実家が中華料理店を経営していた時期があり、小学生の頃は出前の手伝いをしていた。
高校時代は弓道部に所属していたが、70年代初頭の当時ボウリングが流行しており家族とともよくボウリング場へ行った事がきっかけで、プロボウラーを目指す事を決意。そして高校卒業後にボウリング場に就職する。しかし、思い描いた理想と現実の違いに戸惑い、人と話すことが苦手になってしまい退職してしまった。
その後、40日ほど一人暮らしのアパートに一歩も外に出ず引きこもって過ごし、アパートの大家からは孤独死または餓死したのではないかと心配され「井上さ〜ん、生きてますか?」と外から声をかけられた時もあったという。当然、働いていないので収入はなく冷蔵庫の食べ物の備蓄も底を付き、生きるために働かねばと発奮し引きこもり生活に終止符を打つ。
そんな中、テレビ局の大道具係のアルバイトをしていた頃に声優になりたいという友達と一緒に養成所・テレビタレントセンター東京校の試験を受ける事になる。最初は声優志望ではなかった井上だが、人と話す訓練のつもりで試験を受けたら見事に合格したという(誘った友人は落ちた)。
また、そこの養成所の講師に、後年井上の師匠となる永井一郎がおり、養成所に通っていた1年間のうち後半の半年間は永井の指導を受けた〔山寺宏一「第16回 井上和彦」『山寺宏一のだから声優やめられない! 声優・山寺宏一と30人の声の役者たち』、主婦の友社、2000年12月1日、ISBN 4-07-229270-2、164-173頁。〕。養成所の同期には郷里大輔中谷ゆみ川島千代子がおり、夜のクラスには屋良有作がいた。養成所に通っていた頃は、喫茶店、立ち食い蕎麦屋、ビラ配り、ビルの清掃員など様々なアルバイトを掛け持ちしていた。中でも同期の郷里とは同じクラスだった事で仲が良くアルバイトを探していた時に、彼から立ち食い蕎麦屋の仕事を紹介して貰った事もあった。
実は養成所に通っていた頃から、CMテレビドラマの仕事を貰ったりしており、井上も最初は「わりと簡単にお仕事をもらえる世界なのかな」と甘く見ていたが、プロダクション所属になってからは仕事をするよりアルバイトをする時間の方が長かったと回想している。そして時間を作っては仲間達を集めて一緒に勉強会を開いたり、先輩の仕事の手伝いをしていた。そして養成所を卒業後、講師である永井の推薦で青二プロダクションに所属する。
声優としての初仕事は、水羊羹のラジオCM。その作品がいきなりCMコンクールの奨励賞を受賞した事で声優としての自信を深めたが、その後はサッパリだったという。
1973年、『マジンガーZ』(兵士役)でテレビアニメでのデビューを飾る。
1975年、『UFOロボ グレンダイザー』で初めてレギュラーの座を獲得するものの、1回呼ばれただけで降板させられた。この経験について井上はとても悔しかったと語っており、四畳半のアパートの部屋で枕に顔を押し付けて泣いたと言う。それ以来、近所の河原に行っては「大変です! UFOが来ます…」というその時の台詞を繰り返し発声して練習したと振り返っている。
1976年、『一休さん』(哲斉役)で初めて名前のある役に抜擢され、『キャンディ・キャンディ』(アンソニー・ブラウン役)で注目を浴びる。
1977年、『超合体魔術ロボ ギンガイザー』で主人公の白銀ゴロー役に抜擢され、初主演を飾る。
1979年、『サイボーグ009』の主人公・009(島村ジョー)役に選ばれる。この作品に出演した事が井上自身の声優としても最初の転機だったと語っており、二枚目声優としての立場を確立。以後も様々なヒーローや二枚目役を演じる事となった。
1988年、『美味しんぼ』の主人公・山岡士郎役に選ばれる。この作品に出演した事は井上も『サイボーグ009』の島村ジョーと同じく二度目の転機となった役だと語っている。料理の事になるとしっかりするけど、普段はだらけて仕事をサボってばかりいるという性格的な役柄に、当初は四苦八苦したものの新境地を切り開く事が出来たと振り返っている。
それ以来、テレビアニメ、外国映画の吹き替えナレーションなどの各分野で幅広く活動している。
開設から10年目だった「井上和彦の声優教室」を「B-Box Actors School」に改名、現在も講師として指導をしている。
2009年、第3回声優アワード助演男優賞を受賞した。
青二プロダクションぷろだくしょんバオバブ81プロデュース大沢事務所元氣プロジェクトB-Boxと事務所を移籍した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「井上和彦 (声優)」の詳細全文を読む




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